武器アートとは

モザンビークは、1498年、ポルトガル人のヴァスコ・ダ・ガマが、南アフリカの喜望峰を越えて同国に上陸したことがきっかけとなり、16世紀初頭よりポルトガルの植民が始まりました。

1964年に始まった独立戦争は1974年に停戦、1975年にポルトガルからの独立を果たしましたが、翌年から1992年まで16年にわたり、「モザンビーク解放戦線(FRELIMO=フレリモ)」と「モザンビーク民族抵抗運動(RENAMO=レナモ)」の内戦(実際は冷戦下における資本主義と社会主義の代理戦争)が起こりました。

1992年、アフリカで初めて「子ども兵」を生んだといわれる内戦終結後、市民の手に残された武器を市民自らが回収し、生活物資と交換し平和教育とともに武装解除を進める『銃を鍬(くわ)へ』プロジェクトが開始されました。

このプロジェクトの特徴は、現地のNGOが中心となり、政府・警察・軍隊と協力しながら、市民主体で実施しているところです。えひめグローバルネットワークは、1999年、松山市にNGO/NPOへの放置自転車の無償譲渡を可能となるよう提言し、条例の解釈に含めることが決定されました。その後、銃との交換物資となる放置自転車を2000年から現在までに計7回、660台の自転車をミシンや文房具などと共にモザンビークへ輸送しました。

回収された武器の約95%は爆破処理されますが、残り約5%は切断され、現地のアーティストにより平和を訴えるアートに生まれ変わります。これが「武器アート」です。

えひめグローバルネットワークは、このように「銃を鍬へ」プロジェクトのサポートを継続しながら、モザンビーク国マプト州モアンバ郡マレンガーネ地区を対象とした地域開発事業を展開しています。